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「北海道新聞」(1/27)書評 「嵐を生きた中国知識人」 章 詒和著 1942生まれ。中国芸術研究院戯曲研究所研究院。 反右派闘争の真実問う 評: 諸星 清佳(ジャーナリスト) 北京五輪開催に向けて高度経済成長をひた走る中 国。最高実力者だった[登β]小平が推し進めた改革開放 路線は、完全に定着した。では、政治はどうか。一 九四九年の建国以来の一党独裁体制が、相変わらず 続く。一党独裁は、誤った政策をとっていても、何 のブレーキも利かないことが最大の欠点だ。毛沢東 主席の死語やっと、数々の粛清事件の冤罪者の多く が名誉回復したが、五七年の「反右派闘争」は[登β]小 平が責任者だったため、基本的には正しいものとさ れ、現在でも五人が「右派」のままである。 本書は、この闘争で「右派」のレッテルを張られ た五人の一人、章伯鈞の娘の回想録だ。反右派闘 争はその前年、国民に言論の自由を認める方針を出 したはずの中国共産党が、突然態度を豹変。批判 者たちを「右派分子」として断罪、農村での強制労 働に送ったという事件だ。一度は言論の自由を認め たものの、統治に対する批判が予想以上に多く噴き 出したことで、当局が警戒を強めたのだ。 共産党の一党独裁を批判した儲安平は、知識人の 新聞「光明日報」の社長・章伯鈞に請われて同紙の 編集長になったジャーナリスト。ところが会議で発 言した「党の天下(一党独裁)」批判が反右派闘争 の開始で問題視され、在職わずか六十八日で辞職願 を出さざるを得なくなる。北京郊外で強制労働に従 事した後、文化大革命になると、「右派分子」ゆえ 再度、紅衛兵につるし上げられ、行方不明になる。 行き過ぎた粛清運動の、えん罪者を救えと訴えた 羅隆基もまた、章伯鈞と組んで中共の転覆を企てた として「右派」とされる。六五年十二月、自宅のベ ッドで病死するが、翌年始まった文革で何物かが彼 の骨つぼを奪い、行方は現在でも分かっていない。 著者は本書を含め三冊の回顧録を出しているが、 本書は初版以後発禁。ほかの二冊も発禁処分を受け ている。反右派闘争は今でもタブーなのだ。一党独 裁下では憲法をねじ曲げてでも、言論の自由は認め ない。経済的成長の裏には、日本とは根本的に異な る体制が存在することを忘れてはいけない。横沢泰 夫訳。(集広舎発行・中国書店発売 三九九〇円) |