書名クロアチア物語
副題中欧・ある家族の二十世紀
ご寄稿者名森真吾
投稿日 9/16 日
編著者スポメンカ シュティメツ 森真吾訳
出版社日本図書刊行会
出版年月1999年2月20日
ISBN4-8231-0198-7

書評人口四七〇万のクロアチア国の作家が世界に向けてメッセージを発信するのに母国語ではまず無理で、原作はどこの人の母語でもないエスペラントで書かれました。周辺の言語大国、独・仏・英語ではクロアチア作家の誇りが許さないだけでなく、隔靴掻痒の憾が免れないからです。

 著者の祖母テーナが九二歳の生涯を閉じた一九九三年、旧ユーゴは血に塗れた崩壊の時期でした。その一生は相次ぐ紛糾動乱、束の間の平穏を繰り返しだった二十世紀バルカンの地、北クロアチアの一寒村で逞しく生きてきた一族と村人の暮らしの歴史そのものです。
 彼等は自分の郷土を東欧とは呼びません。米・ソ対立の冷戦時にそう呼ばれいても、そこはヨーロッパの真ん中・中欧でした。西側マスメディアの演出による情報の陰で“神様がむこう向いていらっしゃる時”も、失望と希望の繰り返しの日々ながら、決してユーモアと生きる喜びを失う事のなかったバルカン草の根の普通の人々の暮らしが生き生きとこの本に伝えられています。     


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 著者スポメンカ・シュティメツの祖母テーナが92才の生涯を閉じた1993年、旧ユーゴは血に塗れた分裂崩壊の時期でした。彼女の一生は、相次ぐ紛糾動乱、束の間の平穏の繰り返しだった20世紀バルカンの地、北クロアチアの一寒村で逞しく生きて来た一族と村人の歴史そのものです。彼等は自分の郷土を東欧とは呼びません。米・ソ対立の冷戦時にそう呼ばれていても、そこはいつもヨーロッパの真ん中・中欧でした。西側マスメディアを通じての情報の陰で“神様がむこうを向いていらっしゃる時”も、失望と希望の繰り返しの日々ながら、ユーモアと生きる喜びを失うことのない草の根の人々の暮らしがありました。

地球の裏側のほとんど知ることのなかったバルカン農村の愛すべき女性達の暮らしぶり、風俗習慣がまるで絵巻物を拡げるように風物詩として展開されています。

 著者の祖国クロアチアは人口 470万、その母国語では全世界向けのメッセージ発信はまず無理で、あえて国際共通語エスペラントで原作は執筆されています。これなら世界各地至る所に、それぞれの母国語に翻訳してくれる仲間がいるからです。

 イラスト原画は中欧素朴画界の重鎮、クロアチアのイワン・ラツコヴィッチ・クロアタ画伯が提供してくださっています。        (訳者;森 真吾)

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 著者 スポメンカ シュティメツ 
     (Spomenka Stimec)

クロアチア・ザグレブ市在住。 小説・戯曲作家。1949年 1月生まれ。
世界エスペラント・アカデミー委員。世界エスペラント作家協会常任書記1975年クロアチア語原作の創作集「ダリア」でデビユー依頼ほとんどエスペラン
ト語で小説・戯曲を多数発表、おもな作品に「内なる修景の影」「別れへの旅」「出さなかったニッポン便り」「私の心像世界地図」「クロアチ内戦日記」「オーストラリア」など

 訳者 森 真吾 (もり しんご) 1925年 2月 福岡市生まれ。

日本ペンクラブ会員。広東省世界語協会名誉会員。世界エスペラント協会・日本エスペラント学会会員。
著書に随筆集「パンダの昼寝」「動物園の四季」「オンクロ・モリの散歩道」

訳書にスポメンカ・シュティメツ著「出さなかったニッポン便り」「弔銃・戦渦のクロアチアから」「リエカの耳飾り」など。
連絡先;エスペラント伝習所・
福岡(〒819-0004 福岡市西区姪浜町 734-3)

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