| ●書評 | 中国新石器時代の生業と文化に関する事典を兼ねた 有用な基本図書
甲元さん八幡一郎さんに考古学と民族誌の基礎を教わ り、その後、国分直一、大林大良さんから民族誌や民 族学の教えをうける一方、旧藩校の伝統がのこる広島 の高校での漢文調の勉強を基礎にして、中国の金石 文や古文献つまりは古民族誌を考古資料の解釈に大 幅に援用することを始めた。こうして考古学に民族学と 文献学の方法と知識をとりこみ、東北アジア・東アジア ・環東中国海周辺という広大な範囲を研究対象にして、 ロシア・中国・朝鮮語の文献に丹念に目を通し、これら の地域の新石器・青銅器時代の考古学の基礎を築く 作業に意欲的に取りくんできた。本書はそのうちの中 国新石器時代に関する研究の一端であって、最近6年 間に発表した表題にかかわる論文に手を入れ、新稿 (1章)とまとめ(13章・あとがき)を前後に分けて編集し た以下の13編の論文からなっている。 1章 東アジアにおける農耕起源と拡散 2 章 新石器時代の栽培穀物 3 章 新石器時代の植物遺存体 4 章 新石器時代の狩猟動物と家畜 5 章 新石器時代の貝の採取活動 6 章 先史時代の漁労技術 7章 先史時代の集落と墓地 8章 先史時代の抜歯習 9章 魚と再生ー中国先史時代の葬送観念ー 10章 先史時代の「牙」副葬墓 11章 先史時代の抜歯習俗 12章 鄂倫春族の生業暦 13章 中国新石器時代の生業と文化 論題を追うだけで、栽培、狩猟、家畜、貝の採集、漁撈 と生業すべて網羅的におさえたうえで、集落と墓地のあ り方から親族組織、風習や観念などの文化を論じている ことがよくわかる。部分の人ではなく、総合・大系をめざ す人の著書である。 私が興味深く読んだのは、1章の稲作の長江起源説の 根拠である。稲が食料になるには、「多年草の野生ジャ ポニカに変化すること、胚乳が増大することの二つの条 件が揃うことが前提」で、それには新ドリアス期(較正年 代は12000年前・前後の約1300年間)の気候寒冷化と、 後氷期の四季の明確化による生育期間の限定が重要 な役割をはたした、という。そして、その稲に人が着 したのは、後期旧石器時代にすでに狩猟対象を中・小 型獣に変更し、食料は落葉性樹林での植物資源や淡 水域での水源資源までの拡大しており、水辺や水辺 の草原で多様で徹底した食料の開拓をおこなっていく 過程があったからだ、という仮設である。稲作を始める には、そうした環境の変化と新しい食料を求めていた 人との間の絶妙なタイミングでの出合いが必要であっ たことになる。天然植物を栽培植物、狩猟動物と家畜、 貝・魚類の種類と生態を調べた上うえでの甲元さんな らではの考察である。そして、農耕と、玉器つまり農耕 の祭りに不可欠の儀器とがセットになって分布している 事実から、農耕の拡散にあたっては、イデオロギーつま りは文化が拡散する「何らかのモチベーション」を想定 する必要があると説いている。大もん(さんずい+文) 文化の人々がキバノロの牙を手に持たせて埋葬する 風習を扱った論文(10章)は、金関丈夫さん以来の鉤 のもつ呪力がテーマであって、同じ時期に盛行したブタ の下顎骨を副葬する風習を解釈するさいには私は援用 したことがある。また、困ったときの生き字引をした常々 私は甲元さんから学恩をこうむっている。今回、魚と再 生観念の論文(9章)を再読した、人が亡くなると、魚そ のものまたは魚の絵を描いた瓶棺に遺体を納めて埋葬 するのは、アオウオやソウギョなどのコイ科の魚を生命 の象徴とみなし、魚のもつ生命力に死者の再生を託し たのだ、という。考古資料と古文献を総合しての解釈で あって、甲元さんの頭脳の冴えを私はあらためて感じた。 そして、張光直さんの書いたものを読むときと同じような スリルと楽しさを味わうこともできた、甲元さんは欧米の 研究動向にも目を配り、オーソドックスな学風をもつ研究 者である。本書では、徹底した地名表づくりと分布地図 作成をおこなっている。大変だけど、間違うことが少ない。 甲元さんの手堅い論考を考えると客観的な根拠である。 中国・朝鮮・日本語で発表された文献を博く渉猟して論じ ているので、文献目録も有難い。 本書が、中国新石器時代の生業と文化に関する事典 を兼ねた有用な基本図書であることは疑いない。甲元さ んは次に東北アジアの研究成果を一書にまとめる予定 である、という。アジア全域の考古学の体系化に向けて さらなる精進を期待したい。 (春成秀爾) 2001年6月 編集・発行考古学研究会 『考古学研究』 第48巻第1号(通巻189号) 新刊紹介より転載
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