| ●書評 | 戴煌著 横澤泰夫訳 中国書店 『神格化と特権に抗して ある中国「右派」記者の半生』 (独協大学)辻 康吾
「アメリカの靴クリームは素敵だわ」 と言ったばかりに「右派」にされ た女性。 ある中国人科学者が愛国心から「 高級の誘いを捨てフランスから帰国 した」と書いたばかりに外国崇拝の 「右派」とされた記者。 学生の百花斉放を支持する発言を し、後にその発言をタネに「右派」 にされた男。 外国映画の同時通訳を頼まれ正確 に訳したゆえ資本主義を称える「右 派」とされた男。 共産党員の堕落への怒りから自宅 で「共産党革命委員会」が必要だと 鬱憤を晴らしたのを妻に密告された 筆者。 「右派」を差し出せとの命令で開 かれた会議で用足しに中座してるう ちに「右派」にされたしまった善良 な男。 どうしても職場に「右派」と思わ れる人物がいないため、局長のオジ に頼まれて「右派」になった先進分 子の若者。
そして右派改造のため送られた北 大荒や、後の労働改造での筆者の事 故、栄養失調などの苦難と、実質的 に殺され、自殺していった無数の人 々。何度も九死に一生を得た筆者は、 建国までの革命の「栄光」と権力掌 握後の共産党の堕落の原因を書名通 り「神格化と特権」にあったとする。 だがそれでも共産主義への信念、幻 の「党」への忠誠を変えようとはし ていない。それはかつて劉賓雁が「 第二種忠誠」で、白樺が「苦恋」で 描いた悲劇である。 訳者が「あとがき」で「内容があ まりにも悲惨な出来事の連続である かため、読むのには相当の根気がい るだとうという懸念からいったんは 翻訳をみおくることにした」と述べ ているように、本書はかつての革命 的理想、社会主義の夢、新中国建国 の喜びとはなんのかかわりもない、 建国以後の中国での不条理としか言 いようのない圧政と抑圧をこれでも か、これでもかと並べ立てている。 実は書評を引き受け精読すべき評者 も何度も放り出しかけたというのが 本書であった。 それだけに、まともな神経では読 むに耐えないような無数の出来事を 忍耐強く読み通すなら、反右派闘争、 その後の右派分子、つまり革命に進 んで参加した中国知識人の多くの運 命、あるいは現在にも通じる中国の 政治権力の本質を見て取ることがで きる。 今なお全容が明かにされたわけで はないが、文革期の「内モンゴル人 民党事件」、「広西422虐殺事件」、 「北京大興県惨案」など、その犠牲 者は十数万以上、それには数万ある いは数十万にのぼるかも知れない当 時の紅衛兵や造反派同志の武闘の死 者は含まれていない。さらに中国研 究者の計算ですら「農村だけで4000 万人以上」とされる大災害期の餓死 者。中国の大地では血で血が洗われ てきたし、その血のほとんどは権力 に唯々諾々と従った無辜の人々の血 であった。その数は抗日戦、内戦期 の犠牲者の数を遥かに上回っている。 たしか80年代初期だったが、北京 で丁玲と劉心武に会見した。自殺 (他殺説もある)した老舎、虐殺さ れた趙樹理らと同様、反右派闘争以 来多くの苦難を経てきた文学者の一 人である作家の丁玲は会見の最後で、 「我々の中国は多難な国家、多難な 民族」だと語った。「班主任」など 文革後の新時期文学の旗手として登 場したばかりの劉心武が、その場に 同席しており、「だが今は自由だ、 なんでも書ける」とはしゃいだ。本 書の筆者のように、とにもかくにも 解放後の中国を生き延び、名誉を回 復され、今や本書を国内で出版でき るようにはなったものもいる。だが 丁玲の言葉通り、一時は『人民文学』 の編集長にまでなった劉心武は、殺 されたり、投獄されることこそなか ったが、政治の曲折の中で編集長を 解任された。 数年前、大陸と台湾の中国人研究 者と同席する研究会があった。大陸 の研究者が「歴史問題」を持ち出し、 日本軍の残虐性を糾弾した。台湾人 の研究者が「新中国建国後の国内の 虐殺についてはどう考えるのか」と 質問すると、大陸の研究者は、これ には答えず、声を荒げ、手を振り回 し、真っ赤になって質問者を「裏切 り者」と怒鳴りつけた。会場は学術 討論から瞬間的に政治的醜劇の場と なった。本書の訳書は「あとがき」 の中で次のように述べている。 「戴煌は日本語版への序の中で 『歴史を鑑』という言葉は、中国の 指導者が対日問題に関連して好んで 使う言葉だが重要であると指摘して いる。」、「日本の場合は隣国に対 して侵略の手を伸ばしたことを 『歴史を鑑』として反省すべきだ。 ならば中国の場合はどうかと言え ば、自国の人民に暴虐を振るった歴 史を反省すべきであるということで ある。」 評者は中国研究者の一人として南 京事件、ソ連の強制収容所、あるい はポルポトによる大虐殺と同様、日 本軍の虐殺も中国国内の抑圧事件も、 日中間の国家問題や民族問題として ではなく、政治権力による人権抑圧 事件として考えてきたし、そのこと を中国人研究者として話し合ったこ ともある。だが日本人の一人として 積極的にこの問題を提起することに は大きな躊躇を感じてきた。だが幸 い中国人自身がこの問題を提起して くれた。文革期を筆頭に「新中国」 における政治的暴虐を暴露する出版 物は決して少なくないし、日本の侵 略との関連で問題としているものも 戴煌氏一人ではない。ネットの上で はあるが、「小国寡民」と名乗る 『新世紀網』の常連の一人は「中国 人は自分の近代史、抗戦史、および 49年以降の政治運動と執政史のもっ とも重要な部分のすべてについて、 心を砕いて隠蔽と歪曲と改訂を加え ている」としている。 文革以後、中国近現代史の見直し がゆっくりと進んではいるし、その なかで反右派闘争に関する論文、回 想録、資料集も多い。だが81年のい わゆる『歴史決議』は反右派闘争に ついて「まったく正しかったし、必 要なことであった。だが反右派闘争 はひどく拡大化され、多数の知識分 子、愛国人士や党内の幹部を間違っ て『右派分子』ときめつけ、悲しむ べき結果をもたらすことになった」 としながらも、その正統性を主張し 続けている。反右派闘争に対するこ の公式評価は今も変わっていない。 そして筆者が指摘するように文革 後の再審査で55万2877人の右派分 子とされたのはわずか96人であった。 つまり99.8%が誤りであったことに なる。それが「正しく必要な闘争」 であったのだろうか。中国近現代史 についてこれに類する疑問は山積み となっており、中国自身がそうした 政治的虚飾を剥ぎ取り、歴史の真実 に向き合わない限り、中国の近代化 は「虚栄の市」に終わるであろうし、 また日中間の摩擦の真の解決のない のではなかろうか。 (2003年3月刊、553頁、3200円+税)
中国研究月報2003年10月号より転載
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