| ●書評 | 現代中国を読む 38 矢吹 晋 「歴史を学ばない日本」と日本人を批判する 中国政治家がいるが、そのような人物が歴史 から真に学んでいるかは疑わしい。この本の 著者は、歴史から学ばない中国共産党を痛 烈に告発してやまない。世は桜の季節だが、 「神格化と特権に抗して」(横澤泰夫訳、中 国書店、03年3月、3200円、原著「九死一 生-我的『右派』歴程)を読むと、重い気分に なる。 回想はフルシチョフ秘密報告の衝撃から 始まる。やがてポーランドとハンガリーの事 件が伝わり、「私の思考は原爆のような爆 発をみせた」(61ページ)。57年6月、著者は 彭真北京市第1書記の報告に勇気づけられ て外交学院で開かれた座談会で発言する。 「一年来の鬱積した思いを洗いざらい話し」 「最も危険な潜在的災いは、神格化と特 権」(81ページ)と告発した。数日後、新華社 社長呉冷西は、「戴煌がつまみ出された」 と宣言し、「一夜の間に、新華社の構内の 至るところにさまざまに私を摘発し、罵る大 字報が貼り出された」(83ページ)。57年8月 7日新華社は「反党分子戴煌の一連の反 党の原稿を摘発」というニュースを発信。58 年3月18日、新華社構内の一室で「戴煌を 総帥とする反党右派小グループ」に対する 党内処分が決定した。翌月から155円75銭 の給料が停止され、毎月28円の生活費だ けになった(108ページ)。著者は北大荒に 送られ、以後2年8ヶ月にわたって過酷な 労働を強いられる。そこで死ぬものは死ぬ が著者はかろうじて生き延びる。「右派が 死ぬたびに、われがちに死者の警備につ こうとした。これは一、二個の小さな窩窩 頭を手に入れるためで、時には殴り合い の喧嘩もあった」「ドストエフスキーの名作 『死の家の記録』にも、人間の精神がこの ように急激に堕落する様子は書かれてい なかった」(328ページ)。60年秋、北京で 全国農懇工作会議が開かれ、周恩来が 北大荒各農場の状況を尋ねる。「北大荒 には何人の右派が行ったのか、何人の レッテルがとれたか、まだ何人残ってい るか」。周恩来は指を折って計算し、尋ね た。「この少ない分はどこへ行ったのか」 「死にました」「なぜ死んだのか」。報告 された死因は「栄養不良」「浮腫」「腸梗 塞」など。「厳しい飢餓の下でのきつい労 働と労働災害は言及されなかった」(337 ページ)。著者は周恩来の「関心と関与」 のおかげで、ようやく北京へ生還した。 62年1月、有名な7千人大会が開かれ る。著者は自己批判の形式で「神格化と 特権 に反対する思想を抱いた経緯と「北京に 戻ってからの若干の問題に対する見方」 を書いた。この文章は62年11月「右派分 子戴煌に関する資料」として新華社党委 員会弁公室の名で大量に印刷され、「再 批判」の資料とされてしまった。この文章 のゆえに改めて「2年間の労働教養」処分 を受け、その後監獄で14年間暮らす運命 に陥る(379ページ)。 78年10月、中央組織部長胡耀邦の手 で、右派分子の「訂正」が行なわれ、著 者はようやく新華社に戻る。戴煌、李耐 因、韓慶祥、路雲の「反党小集団」は名 誉回復され、29歳から50歳までの21年 間の悲劇は終わり、こう結ぶ。「多くの 同志は粛清によって死に追いやった者 は、いまだにそれを後悔していない。遺 憾の意を表すことさえしていない」(520 ページ) 著者によれば、党は歴史を教訓として いない。歴史から教訓を学ばない中国 の政治を命懸けで告発する著者の精神 力に圧倒される。 (横浜市立大学教授)
2003年4月15日 「チャイニーズ・ドラゴン」より転載
|